朝の風が変わって 秋の気配が強くなった。
この夏は アカホシゴマダラをあまり見かけなかった、
庭のエノキの葉にも全く来なかった気がするなあ。。。
あと、私はカマキリの成体をまだ見ていない。
出現が遅かったのかな?
今年の梅雨とは関係ないけど
”カタストロフ的なレベルで 昆虫が減少している” なんていう話があって
「カタストロフ」っていう言葉、私は知らなかったので↓
「倒す」を意味するギリシア語のkatastropheに由来
1 突然の大変動。大きな破滅。
2 劇や小説などの悲劇的な結末。破局。
3 演劇で、大詰め。
数十年以内に 昆虫が絶滅する可能性があるなんていう。。
この先毎年、そんなことも気にして行こうと思う。
林の中で アマガエルに出会った。
肘のカーブと肉付きが、赤ちゃんみたいで なんとも可愛らしい。
アマガエル「いやいやワシ、こう見えて結構、歳くうとりまっせ(笑)」
藪から目の前にコジュケイが出てきた。ビックリした。
このあとコジュケイは振り向いて 私以上に、少し飛びあがって驚いて
ちょこまかと滑稽に走って行った。
なんでコジュケイって あーんなに憶病なんだろう(笑)
(鎌倉 お寺散策)
鎌倉の滝の一つが 今泉にある。
「称名寺」通称”今泉不動”(今泉四丁目)
鎌倉湖近くの 今泉白山神社には 以前来たことがあったけれど
更にその奥の称名寺へは この日初めて来た。
山深い静かな良い所なのに 隣にはゴルフ場がある。(天園ハイキングコース下のゴルフ場)
エントランスの南無阿弥陀仏の立派な石塔、扉が付いている。
六地蔵がお出迎え。
。。。六地蔵の左端の一体の鼻が すごく高い。というか大きい。
ハナタカさん「bonjour!」
壁の穴の石仏「大きな鼻の彼は、鼻高地蔵と呼ばれておる。」
何故鼻が高いんだろう・・・誰か教えてー
本堂は新しくて その中には金色の阿弥陀如来さま達が居た。
このお寺 810年空海の創建と伝えられるそうだけど 創建当時は円宋寺と言われ
今泉山称名寺という名前は1693年からだそうだ。
先々代の住職の時代に 精神病患者の保護療養施設が造られ
大正14年から戦前まで機能していたそうだ。延べ10万人近い収容者があったそうだ。
(戦争中は海軍が仮繃帯所として使用し、戦後は引揚者収容所)
(仮繃帯所=仮包帯所・・・軍医1名程度の応急救護所)
え~~!この山に そんな病院の歴史があったなんて。
建物、残って居たら良いのに。。。
しかし病院の建物は昭和30年代後半に取り壊されている。
本堂を過ぎると 石柱門の上に立つ 可愛らしい二人が案内してくれる。
(よく見ると 左がジャンボマックス、右が長州小力あるいはキダタローに似てた。)
お地蔵さん「確かに似てるわね(笑)。。私は誰に似てるって言われちゃうのかしら。」
。。。ゆにばーすの ”はら”かなあ。
滝は その門から少し下る。
陰陽瀧にも石柱の門と石碑。
門の先には 左側の岩壁に穴があった!!
大きなやぐら。
3体の崩れかかった石仏。不動明王と、あとは判らない💦摩耗が激しい。
瀧全体が入りきらないけど 正面に男瀧。壁が緑に覆われて綺麗。
左脇に女瀧がチョロチョロと。
瀧はもっと上の方から流れて来ている、水源はどんな所だろう。。。
昔は今泉5丁目は「今泉ダム」で塞き止められていた
なんて言う話を目にしたがホントかな。
この滝は砂押川の一部で、大船駅近くで柏尾川に合流、そして藤沢の川名で境川へ。
ゴムボート担いで下って 藤沢駅近くまで帰ってみたいな(笑)
瀧から戻り 山の上にある不動堂まで階段を登る。
苔むして滑らかなカーブのついた ちょっと危ない階段。
登りきると不動堂。
お堂の背後には三十六童子像
鉈切講中ってなんだろう。鉈。。ナタ。。
一番上の階段はロープが張られている。その上には大日如来。
瀧もあり 見どころの多いこのお寺、とても静かで
遠くまで来たような錯覚をした。
とりあえず 鉈切講中と病院時代の事、紅葉の時期の風景が気になる。
毎日 ”気になる事”は増え続け 関わる本なども増え続け(笑)
矢の様に早く過ぎる毎日と季節の中で
知りたい事や興味ある事作りたい物育てたい物..それらを全部追求する時間って
私(48)の残りの人生で足りるのかーー?(笑)
時間を大切にとは思うものの 過ぎる速さは加速する一方。
谷戸散策で屁糞かずらがモジャモジャ生えていたので持ち帰った。
階段途中に置いた。
理想的な背の高い瓶が無くて背の低い瓶になった(笑)
せっかくなのでトイレにも飾った(笑)
飾っても全然臭くない。花持ちも良い。
葉っぱを千切ったり蔓をもんだりするとクサい☝
屁糞かずらの別名いろいろ 可愛い順に紹介。
早乙女花、早少女草、早乙女葛、踊花、田植花、灸花、苦芋、馬食わず、
糞垂花、糞葛、屎葛。
何故「屁糞葛」の名が常用になったのかっ!!