りあさんの世界

好奇心に任せて あれこれ行動中

未亡人の「御呪い」

気温の高かった日に 鎌倉の海へ。

うーん眩しい。そして暖かい。。。

貝拾い、と思ったけれどこの日は干潮の割に 全~然打ち上っていなかった。

冬と言えば貝拾い。海中の温度が下がって、その変化に耐えられなかった貝などが

打ち上るので状態が良いという事。

もうちょっと気温が下がってくれないと駄目かしら。。。

オブジェ「海は逃げない。りあさん、またおいで。」

長谷の海に常に展示してある砂浜のオブジェ達、

その中に今回気づいた「カメラ・SNS OKヨ」知らなかった。

それならば全体を撮っておこう。

オブジェになりきっているのか 海の方を向いて座っている方が、ここの主と思われ。

漁師さんだろうか、この砂地に土地を持っているのかな、いいなあ。

この辺に一坪でも土地を分けてもらって 小屋を作りたい。

台風ですぐ飛ばされちゃうから掘っ立て小屋でいいや。

そして漁師さんとお近づきになって ときどき船に乗せてもらって

浜から見える範囲でのワカメ漁に同行して、釣りをさせてもらいたい。(笑)

カラス

「りあさんがここに掘っ立て小屋を作るなら 屋根に僕たちの部屋を作ってね」

りあさん

「はい。”カラス&トンビ憩いのテラス”という名で作ります。」

 

材木座の方へ眼をやると、サーファーが黒ごまの人だかり。

え?👀なんだか全員、同じ顔に見える。気持ち悪い!(笑)

鳥たちから見ても  蟻を見る様に全部同じに見えているんだろうな。

 

ああ、沖ではウィンドサーフィンが

ナトリウム摂取に群れる蝶に見える。。。。

崖の上のサギ。

孤高感✨カッコイイ。

この1週間で 紅葉が見ごろになっている。

このところ忙しくて 日にちの経つのが更に更に早くなっているので

あれ?いつの間に進んだの?って言う感覚で居る。

鎌倉中心のお寺などの紅葉を見たいのだけれど 

激混み!の様子なので やはり郊外へ紅葉カブ散歩に行った。。。

 

以下紅葉画像はスマホ写真ですが。。

鎌倉中央公園

俣野別邸

俣野の田園地帯

落ち葉の坂道は滑りやすい。

湿った落ち葉でズルっと滑り、咄嗟に片足をついて転倒回避👣

後に痛みが出ませんように。

・・・ていうか しばらくして記事上に

「何故だかわからないが急に左足が痛くなってしまい。。。」

なんていう書き込みを 私がしていたら、

「りあさん、この前滑ったじゃん」って教えて下さいm(__)m(笑)

大きな木の下に、サネカズラの実が沢山落ちていた。

そうか、蔓性か!高い樹にとりつくんだな👀

クリスマスリースに、、と思ったけれど実が外れやすいからダメだ🍒

味見をしたら、ほのかに甘い。でも青臭くて食用では無さそう(笑)

久々に茅ヶ崎里山公園へも。

モミジのグラデーションをこれだけ色々眺められたので 

短かったこの秋の色の記憶は 充分と脳裏に刷り込めたと思う。

鎌倉の寺社の紅葉にも 一度行って来たいのだけれど。

うーん。。。でも、何処にしようかな💧

・・・鎌倉の、深刻になりつつあるオーバーツーリズム問題。

鎌倉は広くないから、京都市の観光密度の10倍なんだそうだ(*_*;

私の家からせっかく近いのに、紫陽花と紅葉の時期だけは 行きづらい場所。

鎌倉に穴場なんて、もう無い。  やぐらの穴場は沢山だけど(笑)

 

茅ヶ崎里山公園の後に 

周辺の神社、石仏を見学して回ったので

いくつか紹介を。

 

(腰掛神社)

里山の林の中にぽつんとある立派な神社。

祭神が日本武尊日本武尊が東征の時に腰掛けたとされる石があった。

「腰掛玉石」高さもサイズも、腰掛けやすそう💺

「皇子日本武尊御東征の際 此の地を過ぎ給ふ時 石に腰を掛け 
暫時此處に御休息せられ 西の方大山を望み指示して大いに喜び給ふ 

後 村民永く其の霊跡を存せんとして社を建て尊を祀りしと言伝ふ」

 

(きゃーぎ婆さん 石仏)

かつて存在した普門寺と言う寺の観音堂跡に石仏が残されている。

「きゃーぎ婆さん」と言う耳慣れない名前。造立は1666年。家綱時代。古い!

胸をはだけたJ女性像のその表情はちょっとコミカル。

「きゃーぎ」とは何ぞや?と調べてみると
咳の病から「咳気」=ゲイギ→ギャーギという事らしい。

江戸時代初期、村民は風邪を引いたら線香をあげに行ったそうだ。咳の神様。

茅ケ崎市の民話を見てみたら、「ぎゃーぎ婆さん」の話があった。

戦国時代に 茅ヶ崎に落ち延びた武田勝頼の家臣たちの中で

未亡人になった女性がこの地に住み、病気治療修行で会得した

1種の御呪い(おまじない)の言葉である「ぎゃーぎ、ぎゃーぎ!」を 

咳をする人たちに唱えて治し 女医として生涯を過ごした。

ある程度の年齢になるとその女性は

「私ももう若くありません。これからは私のことを

医者様とか先生様とか言わないで(オババ)と呼んでください。

その方が私も気が楽ですから。」とかいう話だった。

病気治療修行って何w。

乳幼児を除けば 江戸時代の平均寿命は60歳程度だろうから、

私(50代前半)もそろそろ「オババ」と呼んで・・・

いやだ。冗談じゃない。

 

(追出し地蔵)

小出川にかかる「追出橋」を渡った三叉路にあるお地蔵さん3体。

「追出」は「おんだし」と読む。

左の彫られた地蔵は西山谷溝中と書かれていて1855年のもの。

右の2体は首が無くなって、左は後から付けられている様子。

着ているモノが真新しくて大事にされている感じ。可愛い。

医者の居なかった時代、ここの地蔵にお参りして

疫病神を身体から追い出したから追出し地蔵。

花嫁行列は この前を通ってはいけなかったそうだ。

 

お地蔵さん達の見ている田園風景。江戸時代とあまり変わっていなさそう。

茅ケ崎の北部の農村地帯は魅力的。またウロウロしに来ようと思った。

老後のセカンドハウスに、三浦市の次に良いかも(笑)

 

(出逢った鳥)

隠れていたジョウビタキ

珍しく寄って来たエナガ

帰りに農家の可愛い直売所でサツマイモとキュウリを購入して帰った。

左にコキアで作ったホウキが売っていた👀車だったら欲しかったなぁ。



 

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