戸塚区 俣野別邸のロウバイ。
この時ロウバイの受粉係り?のメジロが3羽、ヒヨドリも1羽、飛んで逃げて行った。
私も機会があったら、ロウバイの蜜を、味見してみようっと( ゚Д゚)👆
放置された切り株、
甲虫の幼虫が眠っているかなぁ。。もうちょっと腐った方が良いのかな。。。
ホトトギス、冬バージョン。
種の鞘が開いて、まるで花の様だ。
枯れた葉の色と種鞘が 同じ色になって時間が止まった様に見える。素敵✨
この花で秋に沢山見つけた ルリタテハ幼虫の越冬蛹を探したけれど、見つからず。
冬枯れの植物は、色も透け感も綺麗だ~。。。。
ジョビ子さん「・・・・。」
ジョビ子さん「綺麗って言った?、、、、あたしの事、よね?💛」
(カブその後)
先日、11月に買った🏍💨スーパーカブの 1か月点検の為に、
私は再度 伊豆の国市へ行ってきた。
バイク屋さんの、県外の人への販売条件が
「購入後の1か月点検に必ず来る事」だった。
寒いので今回も ハイエースにバイクを積んで持って行った🏍💨
購入から約2か月経った私の走行距離は たったの185キロ。
なので オイル交換も無しだ。点検は ものの5分で終わってしまった(笑)
「調子良いよ♪」そう言って点検を終えると今回も、
ニコニコと満面の笑みで 楽しそうに仕事をする店長さん。
「また、近くへ来たら寄らせてもらいますね~♪」と挨拶し 店を後にした。
次にいつ、伊豆の国市へ行けるかは 全く謎なのだけど。
せっかく伊豆長岡まで来たので、やはりここは!!
あなた=穴・他
私は前回に続き、続・横穴墓を見る事にした。
バイクショップからたったの車で7,8分の距離に 横穴達は身を潜めている。
何か、品薄でやっと手に入れたスーパーカブとの出会いも、これらの横穴に
私は運命的に 引き寄せられたのではないかと思えてくる(笑)
今回の穴は、見渡す畑に沿った民家の脇の
見落としてしまいそうな程の細い路地から斜面を上がっていく。
「大師山 北江間横穴群」7~8世紀。
全部で穴は10基。巨大な穴も数個。
この古墳にはビックリするものが 残っている。
巨大な家形の石棺に
作り付けの石棺。
その大きさと状態の良さに 私はかなり驚いた。
7世紀8世紀の頃に造られて、こんなに綺麗に放置されたように残っているなんて( ゚Д゚)
👇この部屋(穴)の石棺の蓋には 江戸時代になってから文字が書き加えられている。
(何が書いてあるかって言うと、近隣の新田開発に関する記述らしい。何故古墳に書いたの?(笑))
これらの墓は 江戸時代に盗掘に遭っているそうだけれど、
石棺内部画像はこちら→
この中のどれかの石棺には 今流行りの”北条義時”が
経筒を納めていた、なんていう情報もあった。
この穴の中から、向かい側に見える山裾には 北条義時創建と伝わる寺がある。
「北条寺」
これからきっと 観光客が増えるだろうと思うと、
今のうちに見ておきたい。。。。私は寺へ向かった( ゚Д゚)
※ ※ ※ ちょっとその前に ※ ※ ※
(義時にまつわる 私の回想シーン。。。)
私は去年の暮れに、鎌倉市西御門の頼朝墓の近くの山の藪で
家族1名を伴い「義時やぐら」探しをしていた。
北条義時を葬ったのではないかと言われる横穴の事だ。
かつて その穴は観光名所でもあり「よしときさん」と呼ばれていた。
しかし今は踏み跡も無くなり それはそれは物凄い藪で、
結局ガサガサと動き回ったが 私は見つけられなかった。
①墓のある山。②藪の中。③藪の上の平場に出た。
誰か穴を特定して、道を付けてくれないかしら。。。。
「北条義時墓と称する岩窟は 僅かの平地があって その上に二個の穴がある。末期横穴の代表的な形式で 五輪塔らしいものがある。右の穴を政子の墓と伝え、乳の出ぬ人が参詣するとて沢山の絵馬が奉納せられ 木の鳥居が立っている。左の穴が義時の墓だと言う。この岩窟が横穴であることは隣の谷の広元等の墓が同形式の横穴であること。。。。。。。云々。」鎌倉史跡めぐり会記録より(S47)
※ ※ ※ ※ ※
↑ この様に 去年の暮れに義時やぐらにお目にかかれなかった私は、
このお寺が バイク屋さんの近くじゃなかったら、
来る事は無かったかも知れないよなぁ。。。
義時夫妻の墓は境内の 狩野川を見下す「小四郎山」の上に建っていたのだった。
(義時は幼名が江間小四郎)
造立時期は不明らしいが室町時代の石が使われている。(向かって右が義時の墓)
(おまけ)
帰りに寄って徘徊した、伊東温泉♨街の風景。
子持ち湯とは:「よく温まり体力充実,鋭気横溢し,子宝に恵まれるということ」
昭和感満載の街。レトロ好きな私には 見どころも沢山。泊って行きたかった~♨
だけど、人も活気も少なく見えて、心配。熱海みたいに復活しますように。。。
今回も ありがとう、伊豆。