JR大船工場跡地である 深沢多目的スポーツ広場の一角に
フェンスで囲まれたエリアがある。
こんもりと茂った樹木の中に小さな岩山。
この付近は新田義貞の鎌倉攻めの時の激戦地であった州崎の合戦の古戦場跡だ。
その戦死者を慰めるために建てられたと言われる塔「泣塔」がここにある。
フェンスの中には入れないけれど 霧雨の中、塔を眺めに行った。
階段が付けられている。説明書きが朽ちている。
立派な宝篋印塔、高さ203センチもあるそうだ。
そこには1356年と刻まれている、古いものである。
(鎌倉最古の塔は、安養院の宝篋印塔で、1308年の銘)
塔の背後にはやぐらがある。広い土地にここだけ岩が残っているのも変な光景。
戦時中 海軍が工場を造る時にも
終戦後 国鉄が工場を造る時にも、取り壊すことが出来なかった
”曰く付き”の場所の様だ。
「泣き塔」の由来は塔ややぐらを通り抜ける風が
すすり泣く声のように聞こえたからとかなんとか・・・・。
小雨にすすり泣く塔、雰囲気があって良いと思った。
あとで知ったが ここへ来た人は 後日、幽霊と遭遇するという話があるらしい。
2日目、今のところ無し。それよりこの時 フェンスの前で怖い事があった。
左手首にかけていた筈の傘が 無くなったのだ。
霧雨なのに。焦って来た道を見回していたら・・・・
なんと、右手で傘を差していたのだ((((;゚Д゚)))) 怖かった!!
このあと 未踏の「寺分」(てらぶん)地域を散歩。
鎌倉市寺分という地名がある事を初めて知った。
この地域の小さな山の周りには お寺や神社がいくつもあって
道の感じも古くて面白い。お寺の背後にはやぐら穴が沢山あった。
等覚寺、大慶寺、駒形神社、東光寺、御霊神社と寺分の寺社を一回り。
そして探し物がみつかる!という「探し太師」様が座っていた。
(まあ、何か無くしてここに来る頃には 何を探していたか忘れてしまいますけどねぇ。。。(´Д`;))
鎌倉中心部からは離れるが いかにも鎌倉らしい風景だった。
古い集合住宅エリアには「昭和のゴミ箱」がずらりと並んでいるのを見つけた。
とっても驚いた。空家も目立つ。
今では この60年程前のゴミ箱を見つけると
「あっ!」と声に出してしまう位嬉しい。
てんとう虫が、まだ起きていた、或いは寝ぼけてウロウロ?(成虫越冬する)
この時期に真っ赤な光沢は目立つけれど、鳥は彼らを食べないとか。
それは、まずいから。・・・・うーん、なんとなく酸っぱそう。