イチモンジセセリ御夫妻「恥かしながら。。。」
久々ジョビ男さん「今回は至極DEEPな内容にて 雨降りで退屈な方にはおススメ。」
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。。。もっとオシャレなとこ(街)なのかと思ったら💦
緑と起伏の多い所だった。
M大生田キャンパスの西南の隅の門から敷地に侵入した。
。。。。。侵入。(笑)
そういう気分にさせる、ひっそりとした門だ。
世間でどのくらい知られているのか解らないけれど、
ここには戦争中、秘密の研究所があって、
その跡が資料館になっているので 見ておこうと思って来た。
秘密戦、謀略戦。。。
陸軍登戸研究所。
昭和14年に設立された11万坪の敷地を持つ陸軍の研究機関だった。
今は大学になっているけれど、大学構内には今も
倉庫や慰霊碑、陸軍の消火栓などが遺っている。
当時 生物化学兵器を研究してきた鉄筋の建物を改修して資料館が出来ている。
エントランスの前に遺る防火水槽
部屋の配置は 当時のまま
登戸研究所では 毒ガス、細菌兵器、電波兵器、風船爆弾、偽札。などなど。。。
(ちなみに登戸研究所設立の翌年に731部隊、100部隊が出来ている。
。。。731部隊は 私が学生時代にツタヤで映画を借りた事があって
そんな経験からも 私はこういった隠された事実などにも興味が出たらしい(爆))
戦争の暗部を直視して 戦争の本質や戦前の日本軍の諸活動の一端を
冷静に語り継ぐ為に 資料室を作った とのこと。
展示だけでなく 室内、当時の水栓、排水溝、壁の配線穴なども 興味深い遺物。
展示を全て見たら しっかり2時間かかった。
当時勤務していたお年寄りのインタビュー映像資料なんかもあって、とても貴重だ。
私が印象に残ったモノを いくつか。
(館内 撮影はだいたいokで、写真などに一部不可なものもあった。)
第1科から
怪力電波、殺人光線。。。なんて、円谷プロっぽい
みなさん目につくであろう「ラジヲゾンデ」っていうのは、
高層気象観測用具で、
当時 気象台のものより優れていたんだとか。
第2科
こんな物も 一生懸命ここで作っていたんだなあ。。。
。。。。でも、モノづくりっていう観点からだと
。。。きっと、ワクワクに似た興奮や高ぶりの気持ちもあったんだろうな。。?
釜山の郊外で 牛疫ウィルスを牛へ散布して感染させる実験の配置図。
左が風上。 うーむ、怖い。
。。。第3科は偽札作りだ。(←あんまり興味湧かない)
この土地の広大な施設の中では
女子学生たちも一生懸命働いた。
風船爆弾と言って 偏西風に乗せて8千キロ アメリカ本土に爆弾を飛ばす。
高度は1万~1万2千m。
風船爆弾模型↓(搭載した爆弾は4キロ焼夷弾2個と15キロ爆弾1個)
大きな風船作り。こんにゃく糊を手で塗って補強した紙で作った風船。
冬のこんにゃく糊作業は 冷たいし、手がパリパリになって辛かったそうだ。。。
この風船を使った実際の特殊攻撃では(S19.11)
千葉一宮、茨城大津、福島勿来から計9千個放球。
アメリカへ飛んで行ったのは数百個だったそうだ。
参考までに:解っている落下場所
(オレゴン40、モンタナ32、ワシントン25、カリフォルニア22、ワイオミング8、サウスダコタ8、アイダホ8など各州に最低1件の事故という結果)
この展示で私が一番驚いたのは意外にも(笑)
風船爆弾作成に使うこんにゃく糊の為に、
当時 食卓からこんにゃくが消えていた期間があった という事実。
世間の人には、なんでこんにゃくが消えたのか、知らされていたなかったそうだ。
戦後になり 「こんにゃくが再び店に並びますよ~」という内容の当時の新聞記事。
「。。一般家庭でも 久しぶりに田楽の味を満喫できるだらう」だって。
ーーーちなみに こんにゃく糊は 今でも存在し、20グラム粉末600円くらい。
紙や糸の強度を増すために。
当時のまま残されている キャンパス内に残る倉庫。
中が見てみたかったので 職員の方にお願いして見せてもらう。
撮らなかったけど 中は コンセントやスイッチ跡、小さい窓があるだけ。
天井高は3メートルくらい。実際の用途は不明のままだそうだ。
その他遺跡 消火栓など。大学生たちはこういうの見て 何を考えるかな。
この資料室、とても濃くて細かく充実した展示で 是非お勧めしたい場所だと思った。
もうじきハロウィン。
「台風のヤツ、また日本に来たら、ブっとばす!」
注:ブログ主の自宅ではありませぬ。