先日 産まれて初めて自分でレンタカーを借りた。
そしてあなたと・・・・
いや、穴他と・・・
あな・・
あなべ・・・「穴部駅」周辺に行ったのだった。
この穴部という変わった地名は 小田原から大雄山線でちょっと行ったところ。
地名の由来が気になるところだが 調べてもハッキリわからず。
この日は 母方の叔父に会いに行く用事があった。
が、せっかくなので周辺を少し歩く。
線路のすぐそばの「狩川」という川の土手をふらり。
3両編成の大雄山線。
川にかかる橋が 結構古くて目に留まる。
昭和十年竣工の「水道橋」
近くに小田原市の水道発祥の地と昔の井戸跡を見つけた。
さっきの「水道橋」の名前もそれが由来か。
此処に小田原市が水源地を作って水道事業を始める時には 付近の住民が
地下水の減水、灌漑用水不足、地下水を利用する企業の誘致が難しくなる、
地元に無断で計画を進めたという理由で反対運動がおこり
昭和8年に300人規模の暴動になったとか。(足柄騒擾事件)
その井戸跡の向こうに 渋い橋が見えたので行ってみると
さっきの橋よりも更に古そう・・橋の名前が解らなかったけど。
やはり水源地が出来た昭和10年頃のものかな。
ツタの絡まり具合が素敵~。
ツタの紅葉も いいな~。
・・・・そして 穴部の穴。
景色の良いミカン畑の中に・・
古墳時代後期の古墳。まだ草が覆っていて 形が見えにくいけど
舟型古墳。石室の大きさは縦に6メートルくらい。こうした古墳の残骸が
ミカン畑や木立の中に点在している。
畑なのに遺跡をそのまま残してあるなんて有り難い。
ここは 小田原フラワーガーデンにも近く、時間があったら花も見たかったけど、
・・この日本当の目的は ”レンタカーでのブツの運搬”
叔父が20年近く ガレージに放置していたバイクを引き取りに来た。
・・・これは廃車にするのではなくて、汚いけれど
バイク好き家族が複数居るので
直してウチで乗ろうと言う事になったもの(笑)
20年放置も、エンジンは割とすぐにかかった。
それは 私が原付免許を取った年に作られたバイクだ( ゚Д゚)
1986年製!
色は変えるけど、塗装だったら私も手伝いたいなー!私が乗るかは 謎。
↑今回軽トラックを運転するのは初めて。(運よくオートマだった)
で、乗り込んで座席を前に動かす時に 座面の動きが硬くて
右腰をピキーンとやってしまった(爆)
で、更に!
その翌日の胃カメラで 検査台に乗ろうとして
右足のブーツのチャックを下げた時に また右腰をピキーン。
これをぎっくり腰と言うのだろうか(;´Д`)安静にし過ぎるのも良くないらしいので
無理せず仕事も家事もこなしているが 動きが情けない。(日に日に回復中・・)
(胃カメラ雑記)
2回目の胃カメラでは、麻酔が怖かったので診察で
私「あのー、鎮静剤が怖いんです、なんで注射した瞬間に意識が飛んじゃうんですか」
と思い切って聞いてしまう(恥)
ドクターは返答に困っていたので(笑)
私「それでどうかなるっていう事はないですか・・・」と言いかけたら
若い医師は私の言葉に被せ気味で
「鎮静剤でどうにかなる事は100%無いです」と言った。
単純な私は それで安心して処置室へ(笑)
今回は喉の麻酔が 前回のゼリー状からスプレータイプに変わっていて
それがもう、強~烈な違和感の効き目で参った。
シュッシュッシュッシュ・・・10回くらいやられたかな、みるみるうちに
喉の粘膜をパンパンに膨らませて、蝋を塗ったみたいな感覚になった。ウエー。
鎮静剤については「前回帰宅後に寝てしまい 気付いたら夕方でした(笑)」
確か5時過ぎまで寝たと伝えたところ、
鎮静剤の量を減らして、拮抗剤(目を覚ます薬)を多めに入れる事になった。
すると 帰宅後2時間は目がパッチリだったけど、
・・・・拮抗剤の効果が先に切れてしまったんだろう、
気付いたら寝て居て(笑)目が覚めると15時半だった。
でも、鎮静剤を減量した分 前回よりも早めに目が覚めたので 笑った。
どんな薬も効きやすい私だ。
検査は意識なく終わり、結果はポリープが1つ増えて計2つになっていた。
食道ヘルニアは変化ナシ。ポリープもどうみても良性なので放置。
次は2年後検査。これで気分すっきり。腰はぎっくりだけど。
十月桜とイイギリの実