砂の上に溜まった落ち葉の中に ピョンピョン飛び跳ねるカラス。
そう、ここは由比ガ浜。
稲村ケ崎の風景・・・
昭和27年の同じ場所↓
ついでに逗子方面の風景も・・
これも同じ場所を昭和27年の夏に巻き戻してみると
よしず張りの海の家にパチンコ、スマートボール、射的などが並んだそうだ。
本棚にある鎌倉本の中の古い写真。
古い写真と現在を比較するのは楽しい。
鎌倉関連の本は 世の中に沢山あり、私は近いという事もあり
ついついポチポチと指先で買ってしまうが
本ばかり溜まって、読む事が追い付いていない(笑)
ふっ・・と手が空くと 本棚からその時の気分で引っ張り出して、ちょこっと読む。
面白そうな本を見つける→読む→新たな事実に驚く→忘れる→面白そうな本を見つける→読む・・・・
・・・の繰り返しで 毎回新鮮な感情が沸き上がる(爆)
今回その新鮮な感情の冷めないうちに鎌倉へ向かった。
長谷にて。
道すがら 気付いた視線。
生首からの視線には やはりピンと来てしまう自分なのか。
その先の目的地へ着いて 拝観料を払って入場。
それは今から760年くらい前に造られたと思われ
誰が作ったのか、わかっていないという。。
窓に、変わった扉が付いている。
この扉は銅製で 後に1730年代(江戸時代)の修理の際に取り付けられた。
彼は 鎌倉の大仏さま。本を読んだら久しぶりに会いたくなったから来た。
(どうでも良い事:この角度から肩の丸みを見ると ドリフの”8時だよ!全員集合”に出ていた
大きな着ぐるみの、ジャンボマックスを思い出す私。)
曇り空の大仏様。
700年以上も同じ姿で座り続けている。
しかもこの500年位は風雨に、近年は酸性雨、花粉やPM2.5にもさらされている、
ロザ(露座)のままだ。信じられない。技術的にも。
うつむいた首が穏やかに見える。
一昨年の55年ぶりの健康診断後、初めての訪問だけど、
掃除などで お顔がどのくらいきれいになったのか?覚えがない。
目の玉が見えるかしら?・・とじっと見上げても見えない。
仏様の眼の色は 睡蓮の花の様な濃青色なんだとか。
もともとは黄金の大仏様だったと言うから、
その頃なら まぶたの中が青く見えていたかも!?頬に金箔?が少し残っている。
鼻の孔は改めて見てみると結構小さいな。上品。
眉間の丸い物体「白毫」は
江戸時代の修理工事の際に取り付けられたもので、
出来上がって取り付ける際には この白毫を大八車に乗せて
江戸中を引き回し、結縁を受けたそうだ。
そんなに大きくも無い、高さ15センチのこの丸い物体を乗せた大八車、
分厚い紺色の座布団か何かに乗せたんだろうか!?
そんな光景を妄想して楽しむ(笑)
合わせた両手
私には仏像の知識が無いので 仏様は指と指の間に水かきがついていると本で読んで
確認したかった。ホントだ、親指と人差し指の間!
(仏様は偏平足というくらいしか知らなかったので 仏の32相という物を読むと結構面白かった)
20円払って 胎内へ入る。(一度階段を下りて、入口からまた階段を上がる)
遠い昔の、鋳造の時の接合の跡が生々しく、
その頃の人の動きが感じられる様な。。。。
上を向くと昭和35年の改修工事で 前かがみになっている頸部を支える為に
強化プラスチックが使われていのが見える。
まるでガムテープを連想させる色でちょっと残念に見えるけれど・・。同じ色に塗れば良いのに。
(その奥の螺髪のブツブツがイクラみたい。)
(鎌倉大仏の厚み情報~!:頭部3~4cm、胴体平均4~5cm、腹部12cm)
この胎内は、昔、装飾されて 賽銭箱が置かれていたこともあったそうだ。
しかし大きな地震などの後に 多分、色々な事が放置されて世の中が荒れていた頃、
盗賊が住み着いて居たり、賭博場になって居たり、鳥の巣だらけの糞だらけだったり、
男女の密会の場になっていたなどと言う話があるそうで・・・・
時間をかけて見る程でもない狭い胎内で私は
空いているのを良い事に 一人妄想しながら クルクルと回って眺めた。
また何年かして そのことを忘れた頃に観に来ます✨
大仏様ありがとうございました。。。
由比ガ浜へ戻ると
コンビが出迎えてくれた
「おっ、姐さん お疲れ様っス!」