江ノ島海岸で富士山を眺めて
海岸通りから一本裏へ入る。
本で読んだり調べたりして 気になった道だが
なんども車やバイクで使っている道だ。
「 こ い あ げ 道 」
なんとも素敵な響き そして予感。。。。.☆.。.:*・゜
裏通りは 古い家屋が ところどころ建っていて
その 広い庭にはだいたい、松の木が何本も植わっている。
この道が作られたのは古く、明治時代。
その頃の鵠沼村と官有地の境界線に道を作ることになったのだそうだ。
今歩いても 別段面白いものがあるわけではないけれど
その当時の光景を おでこのあたりに思い浮かべながら
右に左にフラフラと・・・
車で通り過ぎるのと実際に歩くのは、ここまで違うものかとしみじみ感じた。
庭木のひとつひとつ、道沿いの松の木、脇道から覗く海岸あたりの雰囲気・・・
ここに住む人とすれ違いながら声を聞きながらのんびり歩くのは
遠いところへ来たようで 近いけど旅気分が味わえる。
どこまで歩くのかというと かつての辻堂村の農村まで。
「堂面」という畑の広がっていた辺りと
「片瀬の旅館街」を結ぶために作られた道だから。
こいあげ道は引地川を「日の出橋」で渡る。欄干には可愛いオブジェ。
橋を過ぎると ここから先は、辻堂村の中心地であった「四つ角」まで
松の防風林が植えられていたそうだ。
松を植えた「又さん」の功績がこの石仏として残る。
のんびり「堂面」まで来た。周辺 わき道に入ると 畑が広がる場所も。
昔からの畑かわからないけれど・・・・・
「こいあげ道」、地名の本には「こいあげ」と書かれていたが
ずばり「肥上げ道」。
海に近いこのあたりの土地は砂地で 農作物の収穫が上がらなかったため
少しでも収穫を上げるために 片瀬や江ノ島の旅館街の屎尿汲取り権を取得し
「人肥」を求めて肥桶を担いで往復したそうだ。牛車だったとも書かれている。
ルート確保はなかなか難しかったらしく、結局官有地との堺になったそうだ。
引地川の河口にホシハジロが3羽居た。引地川では初めて見たような・・・。
江ノ島まで歩いて戻る途中、134号線沿いにヘンなものが。大きいぞ!
車で5,60kmで通り過ぎるだけでは目にも止まらないもんなぁ(笑)
これはなんだ???二十一世紀少年のオブジェなのか!?
よく見ると
皇太子殿下御成婚記念植樹 えっ?
昭和34年 えっ?
・・・・太陽をかたどった 円いモザイクである。
歩いてみると本当に 発見だらけで面白い。