りあさんの世界

好奇心に任せて あれこれ行動中

稲村ケ崎 砲台陣地跡

伏龍隊
太平洋戦争末期の海中特攻隊である。
人間機雷。

潜水服を着て 長い棒の先に爆弾を取り付け、
海中を歩いて進み 敵の船艇へ接近、爆破する。
(検索画像)

潜水具は、1945年3月末に海軍工作学校が
僅か1ヶ月で試作された代物で、
逼迫する資材と戦況に対応するため、
出来うる限り既製の軍需品を用いて製作された。
粗末な工作のゴム服に潜水兜を被り、
背中に酸素瓶2本を背負い、吸収缶を胸に提げ、
腹に鉛のバンド、足には鉛をしこんだワラジをはいた。
潜水兜にはガラス窓が付いているが、
足下しか見えず視界は悪く、総重量は68kgにも及んだ。
2ヶ月の短期間で予科練生徒数に見合う3,000セットが調達される予定であった。

泣けてくるほど 粗末である。

そもそも敵の船の真下までたどり着いて
直接 触れなければ ダメージを与えられない様な代物。
こんなものでは視界が悪く、隊員は 海中に張られたロープを頼りに
前進する。

本土決戦の際は米軍艦艇に対しては、水際の陣地に隠れていた
特攻兵器である「震洋」や「回天」が受け持ち、
水際の防衛にはこの伏龍が使われることになっていた。
しかし、訓練中に事故が多発し、数十名の殉死者を出してしまい、
結局は作戦放棄された戦術。
その伏龍の陣地が稲村ケ崎に作られていた。

伏龍隊陣地。
この地で 特攻が行われることは無かった。

稲村ケ崎海岸に 江の島を望める銃眼が ぽっかり 口を開けている。

その左に 伏龍隊の出撃陣地跡の洞窟が ひっそりと残っている。
見学する人は稀だと思う。干潮の時は砂浜を伝って中へ入れる。
幼稚園児が先生に連れられて 中へ入って居るのを見たことがある。
この穴を なんと教えているんだろう。。 


 穏やかな浜を眺めながら 兵隊さん達の残像を思い浮かべた